2016.11 石巻市立大川小学校
この旅の目的地です。(2016年)
途中、お花を買って向かいました。
小学校に近づくにつれ工事をしているところが増えていきました。
北上川を左手に見ながら海の方へ向かっていくと。
大きな橋があり、その少し先に小学校はありました。
見てください。
小学校の周りには建物がありません。
どれだけ壊れ流されてしまったのか。。。。
こちらが小学校の校舎です。
校庭から撮りました。
こちらが玄関です。
たくさんの円形を採り入れた素敵なデザインの校舎となってました。
教室も円形です。
コンクリートのしっかりした柱があり小学校じゃないみたいです。
津波はここにあったコンクリートの壁を突き破って入ってきたそうです。
想像ができません。。。。
黒板の前にある机なども瓦礫の中からやっと見つけたものなんでしょう。
津波前の小学校はこんな閑散とはしてなかったでしょう。
静まり返ってます。。。
こちらが2011年3月11日の午後5時頃の写真です。
衝撃です。
衝撃ってもんじゃないです。
言葉がありません。
校舎裏にある北上川が見当たりません。
それを上回るほどの津波が来たのです。
よくここまで綺麗にしてくれた、、、そういうしかないほど
綺麗にしてくださった人々がいるんですね。。。。
上の写真をもう一度見てみてください。
同じ建物ですよ。。。
記事を書いていても涙が出てしまいます。
ブログに書くのが申し訳ないくらいです。
記録として書いています。。。
災害・人災を風化させてはならない。
石巻や東北に住んでいなくても胸が痛みます。
こんなことが起きてしまった、、、、
それは日本のどこにいても一緒の思いだと思います。
胸が痛いです。。。
素敵な円形の校舎。
通っている子供達は誇りだったと思います。
こんな素敵な校舎、見たことありません。
津波は2階の天井まで到達しています。
地震発生時、校舎には割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れがあったそうです。
先生達は子供達を校庭に集め、点呼を取りました。
その時、学校南側の山に逃げた子供達もいましたが、
先生に「戻れ!」と怒られ、連れ戻されたそうです。。。
こちらがその南側に位置する山です。
この山は、子供達がしいたけ栽培の学習をしたり、なじみのあった場所です。
傾斜は9度。
登って杉の木にしがみつけばなんとかなりますよ。
先生の間では
山へ逃げるという意見と、校庭にとどまり続けるという意見が対立したそうです。
避難所でもある小学校にすでに避難してきていた老人がいることから、
裏山ではなく、
約200m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋のたもと(三角地帯)へ
避難するという案もあがった。
教頭先生は『山に上がらせてくれ』と言ったが、
釜谷(地区の)区長さんは
『ここまで来るはずがないから、三角地帯に行こう』と言って、
喧嘩みたいに揉めていた、、、という。
その三角地帯を通って小学校に来ましたが
橋のたもとだから周りの土地よりかは高く造られていますが、
ほんの少し高いだけですよ。。。。
しかもその三角地帯から山へ避難はできません。
断崖絶壁のコンクリートの壁になっているんです。
その結果こうですよ。。。
犠牲になった児童74人もいるんですよ。。。
先生も10人も亡くなってしまっている。
山へ避難しようと言っていた教頭先生も亡くなっています。。。。
その中に、
「津波が来るから山へ逃げよう」
「地割れが起きる」
「ここにいたら死ぬ」
と、先生に泣きながら訴えている子供もいたそうです。
真実しか書けないので、
ウィキペディアや裁判の記事を見ながら書いているのですが、
涙なしでは読めません。
本当に悲しい出来事、、、天災です。
いやこれは、人災です。
皆さんも見てください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/石巻市立大川小学校
こんな頑丈な建物がこんなことになるなんて考えられません。
強い力で押し曲げられています。
どうしたらこうなりますか???
体育館横には小さいステージみたいなものがありました。
結局、大人の判断で三角地帯に避難することとなり、
地震発生から40分以上たって移動を開始。
この時すでに、町の側溝からは水が噴き出し、堤防からは水があふれ始めていたそうです。
子供達らが県道に出た直後、
堤防を乗り越えた巨大な津波が子供達の列を前方からのみ込んだ。
列の後方にいた先生と数人の子供は向きを変えて裏山を駆け上がり、数人は助かったが、
前方にいた子供達、先生達は犠牲になってしまいました。。。。。。。
迫りくる津波を目撃して腰を抜かし、
地面に座り込んで避難できない子供もいたそうです。
三角地帯に避難完了したとしても10mの津波では無意味で、助からなかったそうです。
助かったのは裏山を駆け上がった40代の男性教諭1人。
この教諭は山を登る際、倒木で負傷しながら近くの男児1人を押し上げるように助けたという。
それから裁判がありましたが、
ずっとこの先生、口を閉ざして証言してないとニュースで言っていましたが
どうなったのでしょうか。。。
「天災じゃなくて人災だ」
この大川小学校でお子さんを失った遺族の方々が
市と県に約23億円の損害賠償を求める裁判を起こしました。
マニュアルに具体的な避難場所や方法の記載がなく、極めて不十分。
海から4kmも離れているため、比較的安全と思われていたようです。
しかし、マニュアルを超える災害が起きてしまったんです。
二審までいったこの裁判、
市のハザードマップで大川小学校は津波の浸水想定区域外だったが、
校長らは学校の立地などを詳細に検討すれば津波被害を予見できたと判断したとして
2019年10月遺族勝訴確定となりました。
2019年、、、長い戦いでしたね。。。
しかし今も戻らないお子さんがいる。。。。
言葉になりません。。。。。
失ったものは取り戻せない。。。。
今後、起こるかもしれない災害に備えるしかない。。。。。。。
自分達にできることって何かなって思います。
けど、本当人ひとりなんてちっぽけで何もできそうもありません。
お花を手向けるくらいしかできませんでした。
暗くなるのに絶え間なく訪れる人がいます。
皆さん、大川小学校を見て合掌。
仙台の荒浜区同様、東北に住んでいなくても心は一緒だと思います。
訪れて合掌。
お花を手向ける事しかできないけど、忘れないでいる。
忘れてはいけないんだと思います。
東日本大震災で亡くなられた方々の
ご冥福をお祈り致します。